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京の彩紋様++

京都周辺の四季、春秋のバラ、たまに鉄道


by ctr9dmr

第2只見川橋梁(3)

時間が前後しますが、会津檜原駅で下車し、徒歩で会津宮下駅へ移動しています。
旧道沿いを進み、途中獣道のような所を抜けて、第2只見川橋梁の近くまで来ましたが、ちょっと近すぎました。
まだ広角レンズを持っていなかったことに加えて、通信線やら手すりがあってイマイチでした。
客車のデッキのところに何か写っていると思って拡大してみたら、若者らしき2人が座ってました。
牽引は戦時型のC11315、角張ったサンドドームやサイドタンクの補強材などでごつい感じです。
(1972年8月撮影、只見線・会津西方~会津宮下、Canon FTb FD50mm/1.4)
第2只見川橋梁(3)_b0221605_8491124.jpg

Commented by 佐倉 at 2012-05-25 10:11 x
 昔はデッキに立ったり座ったり、向こう見ずは手摺りに掴まって体を乗り出したりしていましたが、今から思うと危険でしたねぇ。(笑)
 315号機は未撮ですが、角形ドームのC11、何処かで見た記憶があります。
 でも思い出せません。
 
Commented by tamura@ctr9dmr at 2012-05-25 15:19 x
佐倉さん、
気温が高い季節はデッキのドアも開け放してありましたから、、、
乗り降りも完全に停車しないうちに飛び降りたりしていましたね。
C11も細かく見ると色々相違点があって結構面白いです。
Commented by 枯れ鉄 at 2012-05-26 00:24 x
デッキに座るくらいは当たり前で、聞くところによると、峠でスピードが落ちる所では、降りていたなんて話を聞きます。恐ろしい時代です。
戦時型でも、D51とかは、ごつごつしたイメージに感じますが、C11は、ごつごつ感だけでなく、かわいらしさを感じます。
Commented by tamura@ctr9dmr at 2012-05-26 19:13 x
枯れ鉄さん、
確かにあの頃は結構危なっかしいことを平気でやっていましたね。
ただ、今と違って何かあったときは自己責任という時代でもありました。
仰るように同じ戦時型でもC11の場合は、ちょっと変わったドームという感じですかね。
by ctr9dmr | 2012-05-25 08:51 | 只見線 | Comments(4)