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京の彩紋様++

京都周辺の四季、春秋のバラ、たまに鉄道


by ctr9dmr

薄霧の中を行く両国行き?

今日はこの冬一番の冷え込み、こちらではマイナス1℃でした。現在も1℃台で寒いです。

今日の写真は場所が今ひとつハッキリしないのですが、ネガの次のコマが急行「内房」ですので、
総武線・津田沼~幕張(当時)かと思われます。その仮定に立てば、両国行きの直通列車ということになりますが、、、
C5785牽引ですが、やはりC57には客レが似合いますね。
(1969年撮影、Olympus PEN-FT Zuiko 100mm/f3.5)
薄霧の中を行く両国行き?_b0221605_98135.jpg

Commented by KONDOH at 2012-01-12 20:22 x
こんばんは。
そう遠くない昔、わざわざ地方まで行かなくてもSLが撮影出来ていたのですねぇ・・・。
今は地方まで出掛けなければいけませんし、撮影も一発勝負みたいなものですからねぇ。(笑)
Commented by tamura@ctr9dmr at 2012-01-12 21:21 x
KONDOHさん、
東京周辺では、総武本線など千葉鉄道管理局(当時)管内がSL列車の最後の牙城でした。
私の場合は、結果的に他の地域に出るのが遅れてしまったのですが、、、
Commented by 枯れ鉄@志賀高原 at 2012-01-12 21:30 x
総武線だと佐倉のC57でしたっけ。
きれいなカマですね。
こんな街中を、C57が走っていたなんて、いまでは信じがたいですね。
Commented by tamura@ctr9dmr at 2012-01-12 22:01 x
枯れ鉄さん、
おっと、志賀高原でしたか。わざわざありがとうございます。
千葉鉄管内は佐倉区と新小岩区が担当でした。C57も両方に配置されていました。
C5785は佐倉区です。なかなか綺麗なのですが、シールドビューム2灯も千葉鉄管内は多かったです。
まあ都会の中を毎日SLが走るという姿も昭和40年代半ばで終わりましたが、新旧混在の時代でした。
Commented by 佐倉 at 2012-01-12 22:05 x
 このC57のクルクルパーはお皿ではなくて好感が持てます。
 津田沼~幕張間は築堤がありましたが、右手奥は沼地で、その向こうを京成が走っていたあの辺りでしょうかね。
 
Commented by tamura@ctr9dmr at 2012-01-13 09:21 x
佐倉さん、
千葉鉄管内では長くお皿型でしたが、1969年ころになってようやくお皿型が減っていきました。
こういう形ならほとんど違和感ないですね。もう少し早く替わっていれば良かったです。
場所的には多分おっしゃる辺りだと思います。今はすっかり住宅地で面影は残っていません。
by ctr9dmr | 2012-01-12 09:10 | 総武本線 | Comments(6)