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京の彩紋様++

京都周辺の四季、春秋のバラ、たまに鉄道


by ctr9dmr

オハフ61 360

昨日アップしました眼鏡橋で撮影するために、手ノ子から伊佐領まで客レで移動しました。
この列車を手ノ子側で撮ると眼鏡橋で撮れる列車がなかったのかもしれませんが、、、
最後尾から撮る手もあったとは思いますが、何故か最前部で撮ってます。
(1972年2月撮影、米坂線・手ノ子~羽前沼沢・車内)
オハフ61 360_b0221605_927363.jpg

Commented by 佐倉 at 2013-06-08 09:52 x
 網棚にポツポツと荷物が載っているので、ボックス席にお客さんが居る事が分かりますが、空いていますね。
 傘の置き方が危なっかしい。(笑)
 蒸機牽引の列車で移動すると当時は1本損した気分でしたが、今から思うとこうして車内風景をもっと撮っておけば良かったと思います。
 ニスの匂いを思い出す写真ですね。

 
Commented by tamura@ctr9dmr at 2013-06-08 09:59 x
佐倉さん、
午前中手ノ子側で撮っていましたので、多分昼前後かと思います。
昼間は空いてたのでしょうね。
私も車内を撮った絵は数えるほどしかありません。
フィルムの節約と思っていたか否かは分かりませんが、もっと撮っておけば良かったです。
Commented by 郷愁紀行 at 2013-06-08 14:27 x
いいですねぇ! 私ももっと撮っておけば良かった!天井の円い電灯が何ともいえません。小学校の廊下を想い出すぬくもりのある床、硬い背もたれ、ここでくの字になって寝てましたねぇ~(^^)
私が撮っていたのはデッキに出てテンダ越しに見える煙とバックライトと石炭ばかりでした。
当時は客車両が消えてしまうなんて微塵も思いませんでしたからね。 きっとSLが消えてから撮ろうと思っていたと思います。何しろDPE代が学生の身にとって高すぎました。SLが消えても鉄活動しなかったのは♀の方に気をやっていたからかも(爆)
Commented by 青列車 at 2013-06-09 01:13 x
こんなことを書くと或いはお叱りを受けるかも知れませんが、当時客レに乗る時は鋼体化改造車と通勤用ロングシート車は出来るだけ避けていました。居住性の違いは子供心にも感じていました(例外はオハニ36とスロ62ですがロザにはとうとう乗る機会を得ないまま終わりました)。
改めてお写真を拝見しますと、このクルマトイレ側が編成端に向いているようですね(仕切り壁のトイレ使用表示灯がそれを示しています)。天井に扇風機が無いのはローカル専用未更新車には珍しくないのですが考えてみればかつて40,7℃を記録したのは山形市だけに、夏場は厳しそうですね(窓を開ければ?しかし蒸機牽引でトンネルに入ると大変ですしトイレが前方にあると言う事は快晴時にも時には嬉しくないしぶきのリスクも有得ますね)。
車番360…2360ではないのですね。となると冬場界隈の電化区間には運用出来ませんね。
あ?当時はまだ奥羽本線北部や羽越本線は電化前だったのでしょうか?
まるで車内をのぞき込んでいる様な、カマのテンダーに乗った後位ヘッドライトが何処となくユーモラスですね。
Commented by ctr9dmr at 2013-06-09 09:09
郷愁紀行さん、
そうなんですよね。当時はまさか客車列車がなくなるとは微塵も思っていませんでした。
それと列車に乗ってしまうと次の撮影場所のロケハンのつもりで外ばかり見ていて、車内は無関心でした。
この時は、蒸気牽引の列車で何とか1枚でも撮りたいと思って、テンダーのヘッドライトを撮ったのかも、、、(爆)
Commented by ctr9dmr at 2013-06-09 09:17
青列車さん、
当時は学生でしたので、思うほど乗り心地こだわりはなかったような記憶です。
何しろ蒸気牽引列車を撮ることで満足していましたので乗り心地は二の次だったのかもしれませんね。
それにしても、米坂線の客車の編成はオハニが編成の間に入っていたり、何だか色々ですね。(笑)
この時は、できれば連結部のドアを開けて撮りたかったものの、前の方にお客さんが何人かいましたので諦めたのかと、、、
何せ、暖冬とはいえ2月末ですから、さすがに走行中に開けるというのは気が引けたのでしょう。
by ctr9dmr | 2013-06-08 09:26 | 米坂線 | Comments(6)